世界経済を揺るがした「オイルショック」とは?
1973年と1979年に起きたオイルショックは、世界経済を大きく揺るがしました。急激な石油価格の上昇に伴い、世界中の企業が製品を作れなくなってしまったのです。
それに伴い、店舗は石油製品を仕入れることができなくなってしまいました。それを察知した人々は、トイレットペーパーや洗剤を買い占めるようになったのです。
いったいなぜ、このような事態が起こったのでしょうか?
今回は「オイルショックの概要」や「オイルショックが起こった理由」について解説していきます。世界を巻き込んだオイルショックの背景には、軍事的な問題が絡んでいたのです。
もくじ
1、オイルショックとは?
2、OPECの結成と石油価格決定権の移行
3、オイルショックが起こった理由
4、まとめ
オイルショックとは?
オイルショックとは、「石油価格の急激な上昇に伴う、世界的な経済混乱」のことです。
1973年に「第一次オイルショック」が起き、1979年に「第二次オイルショック」が起こりました。
このオイルショックが起こった背景には、サウジアラビアを中心としたOPEC(石油輸出国機構)の動向が関係しています。
OPECの結成と石油価格決定権の移行
1960年にOPEC(石油輸出国機構)が発足されました。その後、OPECが「石油の価格決定権」を持ったことが、オイルショックを引き起こす要因になったのです。
OPEC(石油輸出国機構):国際石油資本(※1)などから石油産出国の利益を守ることを目的として設立された組織。最大の産油国であるサウジアラビアを中心として、イラン、イラク、クウェート、ベネズエラの5ヶ国で発足した。現在では15ヶ国が加盟している。また、OPECにロシアなどを中心とした非加盟産油国を加えた「OPECプラス」という組織もある。
※1 世界の石油市場の大部分を占める石油系巨大企業複合体の総称。ウォルマート、ロイヤルダッチ・シェル、エクソンモービルなど、世界的な石油企業が該当する。
第二次世界大戦後、石油の価格決定権を持っていたのは「セブン・シスターズ」と呼ばれる大手石油企業7社でした。セブン・シスターズは国際石油資本の前身であり、世界の石油市場のほとんどを牛耳っていたのです。
セブン・シスターズは積極的に油田の開発を進めるだけでなく、石油価格を引き下げることで自社の利益を増やしていました。
ただ、この状況に納得いかないのが産油国です。石油価格を引き下げられるということは、産油国の利益が減るということです。その対抗策として1960年にOPECを発足し、1971年からセブン・シスターズと共同で価格を決めるようになったのです。
その後は徐々に産油国に権限が移るようになっていきました。石油という資源を持っているのは産油国なので、この流れは当然かもしれません。
オイルショックが起こった理由
オイルショックは戦争や革命が引き金となって引き起されました。
第一次オイルショック
1973年10月に第四次中東戦争が起こりました。このとき、アメリカが支持していたのはOPECに加盟していないイスラエルでした。OPECはその対抗措置として、石油価格を引き上げたのです。
当時、1バレルは3ドルでした。OPECはその価格を5.12ドルまで引き上げました。その後も石油価格の上昇は続き、1974年1月には11.65ドルまで上昇してしまいました。
バレル:原油の取引単位。バレルとは「樽」という意味。1バレルは159リットル。
第二次オイルショック
1978年にはイラン革命が起こりました。シーア派宗教指導者であるホメイニが率いたイスラム原理主義勢力が、政権を奪取し、政治的・社会的変動が起こったのです。
それに伴い、イランの石油生産が停止してしまいました。これを受けてOPECは、石油価格の引き上げを決めました。1979年には、1バレル28ドルまで価格が上昇したのです。
以上のように、オイルショックが起こった背景にはいずれも戦争や革命がありました。OPECは石油価格を引き上げることで、自分たちの立場を守ろうとしたのです。
まとめ
・オイルショックとは、「石油価格の急激な上昇に伴う、世界的な経済混乱」のことである。1973年に「第一次オイルショック」が起き、1979年に「第二次オイルショック」が起きた。
・1960年にOPEC(石油輸出国機構)が発足された。その後、OPECはセブン・シスターズから「石油の価格決定権」を奪取した。
・第一次オイルショックの引き金になったのは「第四次中東戦争」であり、第二次オイルショックの引き金になったのは「イラン革命」であった。
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